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高松地方裁判所 昭和34年(わ)328号 判決

被告人 大林浅吉 外三名

主文

被告人大林浅吉、同武内孝夫をそれぞれ罰金二、〇〇〇円に処する。

右被告人らにおいてその罰金を完納することができないときは、それぞれ金四〇〇円を一日に換算した期間その被告人を労役場に留置する。

訴訟費用中、証人佐藤光義、同矢野豊数、同高原亀一、同木村実、同増田正伯、同大藤静夫、同綾田正夫、同十河正勝、同森本満、同篠原四郎、同田中浩二、同伊藤豊彰(但し昭和三六年一月一六日および同年三月二二日に支給した分についてのみ)、同久保隆美、同重信晃寿、同堀見初亀、同竹崎清彦、同門田章、同土倉敬に支給した分はその二分の一づつを右被告人らの負担とする。

被告人八木史郎、同井上進はいずれも無罪。

被告人大林浅吉に対する公訴事実中公務執行妨害、傷害の点ならびに被告人武内孝夫に対する公訴事実中器物毀棄の点については同被告人らはいずれも無罪。

理由

第一、本件協議会開催に至るまでの経緯

一、終戦に伴う日本国憲法の制定に伴い我が国の諸制度に大きな改革が行われたが、教育制度もまたその一環として根本的刷新がなされ、昭和二二年三月三一日教育基本法が公布施行されてその基本原理が宣明されるとともに、学校教育法その他教育関係諸法令の制定改正が行われ、ここに新しい教育の歩みが続けられることとなつた。

そして、小学校の教科に関する事項については、文部大臣にこれを定める権限が与えられ(学校教育法二〇条、一〇六条)、右に基き、学校教育法施行規則(昭和二二年五月二三日文部省令一一号)二四条において教科の種類が定められ、同二五条で「小学校の教科課程、教科内容及びその取扱については学習指導要領の基準による」とされていた関係で、文部省は、昭和二二年にその著作物として当初の小学校学習指導要領を刊行し、昭和二六年には右の全面的改訂を、昭和三〇年には社会科の改訂、家庭科の学習指導要領の作成を逐次行つてきた。しかし、それまでの教育課程や学習指導要領は、我が国が未だ占領下にある時期に作成されたものを基礎としており、そこには連合軍司令部の意向が強く反映していて独立後の我が国の実情に即しない面があり、また我が国の新しい教育についての研究が未だ充分でなかつた点もあるとして、これらの是正やその後の時代の進展或は研究の成果に応じた自主的教育内容、方法を確立する必要があると判断し、昭和三一年に至り、文部大臣よりその諮問機関である教育課程審議会に対し、その改善についての諮問を行い種々審議を重ねた結果、昭和三三年八月二八日、「学校教育法施行規則の一部を改正する省令」(文部省令二五号)を公布し、これにより、小学校の教育課程を国語等の各教科の外、道徳、特別教育活動および学校行事の四つの領域をもつて編成することとし(二四条一項)、またその基準として文部大臣が別に公布する学習指導要領によるものと規定(二五条)するとともに右規定に則り、道徳教育の徹底、基礎学力の充実等数点に重点をおいて全面的改訂を行つた学習指導要領を、昭和三三年一〇月一日、文部省告示第八〇号「小学校学習指導要領」として公示した。そして文部省は右指導要領は学校および教員に対し法的拘束力を有するとの見解の下にその趣旨、内容等を右指導要領の全面実施を行う昭和三六年四月までに全国教員に知悉させる一方法として、先ず全国を各ブロツク毎に分けてその地区の主催県を定めた上、文部省と右主催県の教育委員会との共同主催による講習会を開催して各県における指導者(主として校長、指導主事といつた人が対象)を養成し、次いで右指導者が、その県下の教員に伝達するという方法を採ることとし、ここに文部省および香川県教育委員会主催の中国、四国地区小学校教育課程研究協議会(以下「本件協議会」と略称する)が昭和三四年八月二〇日から同月二二日までの三日間中国、四国の各県から約五百名余の受講者を集めて香川県立高松高等学校(以下「高校」と略称する)において開催されることになつた。

なお主催者は、指名された受講者には職務命令をもつてその受講を強制し得るものであるとの見解を採り、かつ日教組による受講拒否の説得等を慮り受講者の氏名は一般に公表しなかつた。

(右事実は、証人安達健二に対する当裁判所の尋問調書、証人宮地貫一の当公判廷における供述、押収してある「初等教育資料((改訂小学校学習指導要領とその解説))」と題する書物((昭和三八年押第一三号の三六))によつてこれを認めることができる。)

二、一方、小、中学校の教職員をもつて組織する日本教職員組合(以下「日教組」と略称する)は、昭和二六年九月八日日本国との平和条約が調印せられた前後頃から教育に関する諸立法、政策或は文部大臣の発言等に、漸次反動的保守的思想がみられるようになつたとし、特に日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定(昭和二九年三月八日調印、同年五月一日発効)締結の準備のため行われた日本側池田勇人、アメリカ合衆国側ロバートソンとの間の会談の内容が、昭和二八年一〇月二五日付の朝日新聞に掲載され、それによると、「会談当事者は、日本国民の防衛に対する責任感を増大させるような日本の空気を助長することが最も重要であることに同意した。日本政府は教育及び広報によつて日本に愛国心と自衛のための自発的精神が成長するような空気を助長することに第一の責任を持つものである」という趣旨の内容があり、折柄、昭和二九年に義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法の公布や、教育公務員特例法第二一条の三の新設をみ、昭和三一年にはそれまで旧教育委員会法(昭和二三年七月一五日法律第一七〇号)により公選制であつた教育委員の選任を、任命制にすること等を内容とする地方教育行政の組織及び運営に関する法律が制定されるに至り、また教科書検定制度による教科書内容を通じての文部省側の思想のあらわれ、更には勤務評定制度の実施等これら一連の立法、政策が教育の政治的中立の名の下に民主教育をゆがめ、教育の中央集権化と憲法改正再軍備のための思想統制を行うものであるとの見解の下に、その都度強力な反対闘争をすすめてきたが、従前、文部省の著作物として、単に教師の学習指導上の参考資料にすぎなかつた学習指導要領を前記学校教育法施行規則の改正により、告示の形式をとることによつて、これに法的な拘束性をもたせようとしているのは、学校教育法に違反するのみならず、教育の自主性、中立性を侵すものであり、また全面的改訂のなされた前記学習指導要領の内容も、道徳的心情主義、国家主義、軍国主義教育を推進させようとしているものであると考え、昭和三四年六月の第二一回定期大会、その後に行われた第四八回中央委員会において、改悪教育課程自主編成の闘いを決議し、また日教組に所属する香川県教職員組合(以下「香教組」と略称する)は、同年七月に開かれた第一二五回中央委員会や戦術会議において、右同様の決議および本件協議会開催阻止闘争のためのその傘下組合員の動員や、支援を求める団体等について協議し、更に右支援要請を受けた香川県地方評議会(以下「地評」と略称する)は幹事会および常任幹事会の決定を経る等して、ここに同年八月一八日、日教組本部、香教組、中、四国の他の県教組、地評等の各代表者二二名により、日教組佐久間副委員長を責任者とする本件協議会に対する阻止共同闘争委員会(以下「共闘会議」と略称する)を結成し、反対闘争をすることになつた。

そして共闘会議は、具体的な闘争方針として、共闘会議の代表者と本件協議会の主催者側責任者との組織的な交渉によつて本件協議会を中止させること、これを支援するために日教組組合員、支援団体員によりピケツトをはり受講者に対する説得を行うが、警備の警官隊との不必要な摩擦はできるだけ回避しその挑発にのらないようにすること、反対闘争の正当性、必要性について一般県、市民への情報宣伝活動を徹底すること等を決定した。

(右事実は、被告人大林浅吉の当公判廷における供述、証人家永三郎、同大槻健、同鈴木力に対する当裁判所の各尋問調書、第三一回および第三二回公判調書中の証人重信晃寿、第三三回公判調書中の証人西種義数、第三四回および第三七回公判調書中の証人中西杢一第三七回公判調書中の証人横丁郁朗の各供述部分によつてこれを認めることができる)。

三、ところで文部省は、本件協議会前に、東京都内において開催した同種研究協議会に対する日教組等の妨害状況や、その後の日教組の動静からみて、本件協議会開催についても受講者や講師その他の関係人に対し、参加阻止その他の妨害が行われることが予測されるとして、昭和三四年八月六日付をもつて文部省初等中等教育局長内藤誉三郎名義で高松警察署長宛に「警備の要請について」と題する文書を発して研究協議会々場、受講者等の宿舎および輸送等について警備方を依頼し、また香川県教育委員会においても同署長に対して同様の依頼をなすと共に、従前、行われた妨害状況やそれに伴い発生した刑事事件について具体的に話す等種々打ち合わせた結果、同警察署は、同署に警備本部を設置し、同署長を警備本部長として警備計画を図つた上、香川県下から警察官を動員し、制服部隊として約二八〇名、私服警察官約一〇〇名(内写真班四、五〇名)をもつて警備に当ることにした。

そして、八月一九日、中国、四国各県下の受講者が高松市に参集し、主催者たる文部省、香川県教育委員会は、右受講者を同市内栄荘本館外の旅館に分宿させ、毎朝貸切バス約一〇台に分乗させて会場である高校に向わせることにしたが、なお受講者に対しては、日教組の組合員等と接触の機会を与えることは右協議会を円滑に実施するという観点から不適当だとして投宿中外来者との面会謝絶および外出禁止を要請すると共に、高校には、同校校長と協議の上、

「立入禁止

八月一九日、二〇日、二一日、二二日の四日間左記の者以外の者の校地への立入りをお断りします。

昭和三四年度中国、四国地区小学校教育課程研究協議会の参加者、関係係員、報道関係者で所定の標識を着用している者及び香川県立高松高等学校教職員その他特に事前に承認を受けた者。

昭和三四年八月一九日

香川県教育委員会

香川県立高松高等学校長」

と墨書した四〇糎四方のベニヤ板を北門、北側生徒通用門、東門に各一枚づつ、西門には二枚、それぞれ門扉の外側に釘付けにし正門には右立入禁止のベニヤ板と

「面会謝絶

研究協議会期間中参加者、関係係員に対する面会は一切お断りします。

昭和三四年八月二〇日

文部省

香川県教育委員会」

と墨書した貼紙とを、それぞれ二米余りの長さの角材に取りつけ、それを正門鉄扉の一米位内側に外に向けて立て、右表示した関係者以外の者の校内への立入禁止、面会謝絶の表示をした。

(右事実は、証人宮地貫一の当公判廷における供述、第二〇回および第三〇回公判調書中の証人西村文雄、第二〇回公判調書中の証人久保隆美の各供述部分、三宅友七の検察官に対する供述調書、文部省初等中等教育局長から高松警察署長宛の「警備の要請について」と題する書面の謄本、昭和三四年八月二二日付香川県教育委員会教育長から高松警察署長宛の「警察官事前配置の要請について」と題する書面の謄本、司法警察員作成の昭和三四年一〇月八日付実況見分調書によつてこれを認めることができる。)

第二、本件公訴事実に至るまでの反対闘争の模様

八月一九日、組合側は、香教組の組合員を中心として、高松駅等において、高松市に到着した受講者に対し、「受講をしないで帰つてくれ」等と呼びかけをし、また、当時香教組の執行委員長であつた中西杢一、同書記長重信晃寿は共闘会議の前記決定に基き本件協議会の中止を要請する等のため市内栄荘本館に宿泊していた上野文部省初等教育課長に面会を求め、その他の組合員らも同日夕方受講者の宿泊している各旅館に赴き、話合をなすべく受講者に面会を求めたが、いずれもこれを拒絶されたため、道路上から右同様の呼びかけなどを行つた。

翌二〇日、午前六時半頃、組合側は高校に入る受講者を説得するため、高校正門前に約五〇名の、西門には約一五〇名の人員を配置して受講者を待つうち、午前七時頃主催者側が宣伝車を先頭に、受講者をバスに乗車させて右西門に到達したが、入校をめぐつて双方間に紛糾した事態が生じたため、それまで高校北側にある高松工芸高等学校で待機していた制服警官約一六〇名が出動し、同門前に座り込んでいた組合員を引抜行為によつて排除したが、その際組合側、警察側双方にかなりの人数の負傷者を出した。その後、組合側は高松市内十数箇所の街頭において、本件協議会に反対する理由等を宣伝し、右趣旨を記載したチラシ約三万枚を市民に配布すると共に、午後四時頃旅館に帰る受講者に呼びかけをするため、栄荘本館外三箇所の旅館に各四、五〇人位の説得隊が赴いたが、警官隊が出動し、人垣を作つて受講者を旅館内に入れた。

翌二一日午前六時半頃、組合側は高校に赴く受講者を説得しようとして約二〇〇人を動員し、宣伝車と共に栄荘別館に赴き呼びかけを行つたが、間もなく警官隊が出動し、同旅館入口附近の組合員を押しわけて人垣を作り、受講者をバスに乗車させたが、その際にも組合側、警察側双方に負傷者を出した。

(右事実は、第二〇回および第三〇回公判調書中の証人西村文雄、第三一回および第三二回公判調書中の証人重信晃寿、第三四回および第三七回公判調書中の証人中西杢一、第三七回公判調書中の証人三好正美、同久利言の各供述部分および押収してある久利言撮影の写真三枚((昭和三八年押第一三号の六、八、一〇))、三好正美撮影の写真二枚((同号の九、一一))、田村勢喜撮影の写真一枚((同号の一二))「県民の皆さんへ」と題するビラ(同号の三三)によつてこれを認めることができる。)

第三、被告人らの地位等

被告人大林浅吉は、当時日教組中央執行委員であり、本件協議会反対闘争の指導者の一人として日教組本部より派遣され、被告人井上進は広島県教職員組合福山支部青年部渉外部長、被告人武内孝夫は高知県幡多郡教職員組合青年部副部長であつて、いずれも教師として本件協議会反対闘争(但し、被告人武内については二二日の反対闘争を除く)に参加したもの、被告人八木史郎は全逓信労働組合香川地区本部高松郵便局支部組合員であり、前述地評の本件協議会反対闘争の支援決定に基づき、二二日の反対闘争に参加したものである。

(右事実は、被告人らの当公判廷における各供述によつてこれを認めることができる。)

第四、住居侵入について

(本件犯行に至るまでの経過)

昭和三四年八月二一日の早朝、日教組組合員らは、前記の如く栄荘別館に赴いた後一旦教育会館に引きあげたが、更に高松市六番丁二番地所在の高校の周囲から、同校で受講者に対して呼びかけを行うこととし、同日午前一〇時頃、一〇〇余名で教育会館を出発し、高校南側塀ぞいから西側塀ぞいにそつて順次行進し、同校北西にある生徒通用門前に到り、同所で立止つて道路に面した校舎の二階で受講中の受講者に対し、暫くの間「受講をやめて帰れ」と叫ぶなどして呼びかけをした後、北側塀にそつて東進しようとした。その頃全日本自由労働組合員(以下「全自労組合員」と略称する)約五〇〇名がたまたま自らの要求貫徹のため市役所から県庁に向けて五番丁交叉点附近を行進していたが、右日教組組合員らの状況を目撃し、これを激励すべく同組合員らのいる所に向け高校北側塀ぞいを西進したので、同歩道上で、両組合員が合流するようになり、そのため、日教組組合員らは、右全自労組合員を先頭にして東進した。そして日教組組合員らが同校正門前に到つたところ、既に全自労組合員によつて右正門の鉄格子門扉が破壊され少し開かれていたので、これを更に開けた上、組合旗を持つた者数名が前列に出てこれを振り或は前同趣旨の呼びかけをする等して反対闘争の気勢を示したが、その間門内で警備に当つていた矢野豊数外数名の香川県教育委員会の職員および高原亀一外一名の私服警察官は、右開かれた門扉を閉めようとし、日教組組合員らはこれを阻止しようとして、互に門扉を押したり引いたりしたため、右門扉は時に大きく開き、または閉じるといつた状態がくり返されていた。そのうち、堀見初亀の振つていた高知県高等学校教職員組合の組合旗(昭和三八年押第一三号の二。以下単に「組合旗」と略称する)の布部分が、門扉を閉めようとして正面玄関から馳け寄つて来た香川県教育委員会主事佐藤光義の顔面におおいかかつたため、同人はよろめいてその旗布を掴んで引いたところ、旗竿の上の結び目附近の旗布がちぎれ、組合旗が同人の頭上からかぶさつたので、同人は手でこれを払いのけるようにし、かつ組合旗で殴られまた門扉を閉めることを妨害されたものと考えて立腹したためか、二、三回にわたつて組合旗を引き裂いてしまつた。そこで竹崎清彦(高知県職員労働組合執行委員)および被告人武内孝夫は、右佐藤主事の傍に寄り、同人に対し、謝罪を要求し、校舎内へ逃れようとする佐藤主事を掴まえようとしたところ、前記私服警察官高原亀一が間に入り、佐藤主事に逃げるようにと指示し、同人をして玄関から校舎内に入らせた。

(罪となるべき事実)

被告人大林浅吉、同武内孝夫は右同日午前一〇時三〇分頃組合旗を破つた佐藤が右の如くして校舎内に逃げたため、香川県教育委員会および高松高等学校長連名等の「立入禁止」、「面会謝絶」の立礼があり、かつ矢野豊数外数名の同教育委員会職員らが入門を拒否したのに拘らず、他の日教組組合員ら数十名と共に、携帯用マイクを使用し、或は口口に「旗を破つた者を出せ」、「責任者を出せ」と叫びながら同校正門より同校舎の玄関前まで故なく侵入したものである。

(証拠の標目)(略)

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人らの校内に侵入した行為は、その経緯、目的、態様等に照して建造物侵入罪に該当しない旨主張するので、この点につき判断するに、先ず門扉が破壊されたことに対する評価であるが、前掲判示認定の如く、門扉の破壊と当初の開扉は全自労組合員によつてなされたものであり、同組合は、日教組の本件協議会反対闘争の支援をした地評に加盟する組合ではあるが、右全自労組合員は、地評の指示に基づき、当日の日教組組合員らと統一行動の下に反対闘争に参加したものではないのであり、また右当日の日教組組合員らが右全自労組合員らの門扉の破壊行為を認識し、これを明示ないし黙示のうちにでも容認したと認めるに足る証拠もないので、右門扉の破壊をもつて当日の日教組組合員らの責任とし、更にはこれを住居侵入の態様に結びつけることはできないというべきである。そして前判示した校内に侵入するに至つた経緯に徴すると、右侵入の主たる目的が組合旗を破られたことに対する抗議と陳謝要求などにあつたことは明らかであるから、たとえ、佐藤主事が組合旗を破るに至つたのは、堀見初亀が振つていた組合旗が佐藤主事の頭上に覆いかぶさり、これを同人が組合旗で故意に殴られたものと誤解したことに縁由するものであつたとしても、故意に組合旗を破られたと考えた組合員がなお右抗議と陳謝要求などをすること自体は是認されなければならない。しかしながら、その方法および程度についてはおのずから限界の存するところであつて、これを逸脱することは許されない。

思うに、高校の各門に、「立入禁止」或は「面会謝絶」の立札を立てて右に表示された以外の者の校内への立入を禁じたゆえんは、本件協議会が他から妨害されることなく円滑に開催されんがためのものである。従つて、右抗議や陳謝要求などをなすに当つても、右趣旨をわきまえ、少人数の代表者を通じて平穏になすといつた方法、程度によるべきである。しかるに本件侵入に当つては、多数の者が口口に大声で叫び、マイクを使用して相当騒然たる様相を呈しているのであつて、その態様は右許容される範囲の方法、程度を超えたものといわざるを得ない。

もとより、組合の象徴である大切な組合旗が破られるのを目前で目撃した組合関係者にとつて、冷静な判断をすることが、或程度困難であることは理解できないではない。しかしながら、証人門田章の前掲供述部分によれば、組合旗が破られたことを知つた同人は、その抗議の方法として代表者によつて話し合うべきだと判断して、当日行動に参加していた前記共闘会議の責任者である日教組の佐久間副委員長を探しており、また証人竹崎清彦の前掲供述部分および被告人武内の当公判廷における供述によれば、同人らは、一時校内に入り佐藤主事に抗議をし、同人を掴まえようとはしたが、自分が責任者でないことを考え、或は一人で深入りしたことを反省して、一旦は門扉まで引き返しているのであつて、本件の場合に代表者を通じて抗議等をすることに配慮をめぐらし、その方法をとることができなかつたとは考えられない。なおまた、前記のように、抗議方法等が騒然たる様相を呈し、玄関まで侵入するに至つたことについては、ただ入校を阻止することに専念し、組合側の右抗議や要求に対して、誠意ある態度や回答を示さなかつた教育委員会側にも責任の一端のあることは否定し得ないところであるが、そうだからといつて被告人らの行為を正当視することはできず、結局被告人らは故なく侵入したものと評価せざるを得ないのである。従つて弁護人の前記主張はこれを採用することができない。

(法令の適用)

被告人らの判示所為は、それぞれ刑法一三〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号(同時犯)に該当するところ、侵入の経緯、目的、それに対する教育委員会側の態度その他諸般の事情に照し、所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で被告人両名をそれぞれ罰金二、〇〇〇円に処し、被告人らにおいてその罰金を完納することができないときは刑法一八条一項により金四〇〇円を一日に換算した期間その被告人を労役場に留置することとし、訴訟費用のうち、主文掲記の証人に支給した分は刑事訴訟法一八一条一項本文によりその二分の一づつを被告人らに負担させることとする。

第五、被告人武内に対する器物毀棄の公訴事実についての無罪理由

被告人武内孝夫に対する公訴事実中、器物毀棄の訴因は、

同被告人は、第四で判示したように、高校の正門から校内に侵入して同校玄関西側校舎前に到り、同校舎の硝子窓を右手拳で乱打して、その窓硝子一枚を破壊したものである

というのである。

第四に掲げた各証拠に、第一七回および第二三回公判調書中の証人野口福一郎の供述部分および白川一吉撮影の写真二枚を総合すると、被告人武内孝夫は、第四で判示したような経緯で高校正門から校内に侵入し、組合旗を破られたことについての抗議などをしながら漸次同校玄関西側校舎前に到り、同校舎の硝子窓を叩いて抗議等を続けているうち、その窓硝子一枚(縦五五センチメートル、横四七センチメートル)が破損した事実はこれを認めることができる。

ところで同被告人が右窓硝子破損についての故意ないし未必の故意を有していたか否かについて、弁護人の有していなかつた旨の主張もあるので以下検討する。

右証人高原亀一の供述部分および尋問調書中には校内において私服で警備に当つていた高原亀一警部補は被告人武内が窓硝子を叩く前に、その近くにいた他の組合員が窓枠を叩いていたので、そんなに叩いたらガラスが割れるからやめなさいと注意したところ、その組合員は何か反撥するようなことを言いながらも、叩くのだけはやめたが、次に同被告人が二、三回窓硝子を叩き、三回位叩いた時に割れた旨の供述記載がある。若し、それが事実だとすれば、同被告人は、右高原警部補の注意を聞きながらこれを無視して窓硝子を叩いたものと推察されないではなく、そうであるなら、同被告人は前記故意ないし未必の故意を有していたものと推認することも可能である。しかしながら、同証人の供述部分には、同被告人らが校内に侵入するに至る経緯について第四で判示したところと重要な点において喰い違つているので、他の記載事実の信用性についても慎重な検討を要するところ、前記記載事実のうち、被告人が窓硝子を叩く以前において、同被告人の間近くで、組合員重信晃寿が窓枠を叩いていたことは前掲綾田正夫、同野口福一郎の各供述部分などによつても明らかであるが、高原警部補が右重信晃寿に対して前記のような注意をしたという点については、他の証拠からはこれを窺知することはできないばかりでなく、前掲証人森本満(第二四回公判調書中)、同門田章の各供述部分によれば、附近にいた制服警察官すら右のような注意を与えた形跡はみえないこと、および被告人武内孝夫の当公判廷における供述に照らすと、にわかに措信し難いものがある。従つて、同被告人が前記故意ないし未必の故意を有していたかどうかについては、更に他の認められる諸事実によつて判断せざるを得ないところ、同被告人の供述、証人綾田正夫、同野口福一郎、同森本満の各供述部分、森本満および真井俊美撮影の各写真綴に白川一吉撮影の写真二枚を総合すると、少くとも窓硝子の割れる時点においては、同被告人は手を拳にしてその小指側の面で窓硝子を叩いていたこと、硝子は一枚中のかなり広範囲に亘つて一度に割れたのであるから、その叩き具合は或程度力のはいつたものであると考えられること、当時教育委員会側、組合側とも相当興奮状態にあり、特に同被告人は、相手方が誠意ある態度を示さないことに強く立腹していたこと、同被告人は窓硝子が割れた後、間もなく人目につき易い横縞のシヤツを脱いで逃走したことの各事実を認めることができ、これらの事実からみれば、同被告人は前記故意ないし未必の故意を有していたものと考えられないでもない。しかしながら、更に右各証拠を仔細に考察し、これに前掲証人重信晃寿、同門田章の各供述部分および伊藤豊彰作成の実況見分調書中の写真第八葉を総合して検討すると、同被告人の右窓硝子の割れた時に叩いていた手は左手であり、しかも硝子窓内側の廊下にいた教育委員会の職員らを注視し右手に破られた組合旗を持つてこれを示しながら抗議をしつつ窓硝子を叩いていたものであり、かつ右硝子窓の下段は概ね普通人の肩の高さの位置にあること、少くとも同被告人は窓硝子を叩いていた際他からの制止を耳にしていないこと、また窓硝子の割れた時、同被告人の態度には一瞬驚ろいた様子のあつたことが窺われること、同被告人は窓硝子が割れた後も暫く抗議を続けていたが、その後逃走したのは、附近にいた警察官に逮捕されそうになり、同被告人が比較的人目につき易すい横縞のシヤツを着用していたことから、不当に逮捕されることをおそれた高知県教組執行委員門田章らにそのシヤツを脱がされ(そのため裸の状態となつたので人目につき易いという点ではあまり変りはない)同人らにすすめられて逃げたものであること等の事実を認めることができ、これらの事実をもあわせ考えると、同被告人は、教育委員会側の誠意のない態度に憤激し、抗議をすることに夢中となつたため、窓硝子の壊われることについての認識は無くなつていたか、若しくは著しく薄れ、窓硝子を叩く力の調節には注意が及ばず、更にはその不安定な姿勢とも相俟つて、過つて窓硝子を割つてしまつたということも充分考えられるのであつて、これらの諸点から同被告人が前記故意ないし未必の故意を有していたとは、にわかに断じ難い。

もとより、一般に、窓硝子は容易に壊われ易いものであることは、同被告人とても知つている筈であるから、当然それについての配慮をなすべきであるにもかかわらず、それをしなかつたという点においては、それなりに責められるべきことではあるけれども、そのことと同被告人が前記故意ないし未必の故意を有して窓硝子を破損したこととは別論であることはいうまでもない。

そして、他に前記故意ないし未必の故意を認めるに足る証拠はないので、結局被告人武内孝夫に対する器物毀棄の訴因については、犯罪の証明がないことになり、刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡をする。

第六、被告人大林同八木同井上に対する各公務執行妨害等の公訴事実について

一、当日の概況

被告人大林浅吉、同八木史郎に対する各公務執行妨害、傷害、同井上進に対する公務執行妨害の公訴事実は、いずれも八月二二日の朝の高校北側生徒通用門前歩道上における本件協議会反対闘争に際しての事実であるので、先ずその時の概況について考察する。

<証拠略>を総合すると、その時の概況について次の事実を認めることができる。

本件協議会の最終日である八月二二日、日教組側は、高校に入る受講者に対し、最後の説得をするため、午前六時頃、同校正門に約五〇名、同校西側通用門に約二〇〇名を配置し、受講者の到着を待つていた。一方主催者側は、警察側と種々打合せた結果、当日は同校北側生徒通用門から受講者を入校させることとし、また警察側は、受講者を円滑に入校させるため、警備警察官の大部分を同校前の高松工芸高等学校に待機させると共に、制服警察官約七〇名と私服警察官約二〇名を北側生徒通用門内に待機させ、バスが到着すると同時に、右門内の警察官が歩道上に出、東西に分れて南北に並び、同門前車道に停車するバスのほぼ一台分位の幅の空間地をつくつて、そこには組合員らが入れぬようにし、バスから降りた受講者がその空間地を通つて校内に入れるようにすることとした。

かくて、午前七時頃、約一〇台のバスに乗つた受講者が順次到着し、右門内に居た制服警察官約七〇名が半数づつ東西に分れて前記のように隊列を組み、その空間地を通つて受講者は逐次入校したが、最初の一、二台のバスに乗つていた受講者が入校した頃、前記正門および西側生徒通用門に待機していた組合員らはこのことに気付き、直ちに右北側生徒通用門の方に押し寄せて受講者に近づこうとし、また前記高松工芸高等学校に待機していた警備警察官も、右組合員らの押し寄せるのを見て、すぐに応援に馳けつけ、東西の警察官隊列に加わつて組合員らが受講者に近寄るのを防ごうとしたため、ここに受講者全員が入校し終るまでの二、三〇分の間、右東西における警察官隊列と組合員らとの間に、激しい押し合いが続けられることとなつた。

而して、被告人大林、同井上、同八木は、いずれも当初前記西側生徒通用門に待機していたが、受講者が北側生徒通用門前に到着したのを知つて同所へ馳けつけ、被告人大林は、その歩道上に警察官が隊列を組んでいて受講者に近づけないことを知り受講者に対し呼びかけを行うためいち早く、同門前のバスの北側を廻り、次のバスとの間の間隙を通つて前記歩道上の空間地に馳け入り、被告人井上は、他の組合員らと共に停車していたバス数台の北側を廻つて歩道に上り、正門の方から押し寄せた組合員らとも一緒になつて、前記東側に配置していた警察官隊列と押し合いを続け、被告人八木は、少しの間西側に配置していた警察官隊列と押し合つた後、間もなく被告人井上と同様、数台のバスの北側を廻つて歩道に上り、東側警察官隊列と押し合いを続けているうち、井上、八木両被告人とも組合員側の最前列となり警察官隊列の最前列と対峙するようになつた。

二、被告人大林浅吉に対する公務執行妨害、傷害の公訴事実についての無罪理由

被告人大林浅吉に対する公訴事実中、公務執行妨害、傷害の訴因は、同被告人は、前記受講者の入門を阻止する目的をもつて、前記のように警備配置についていた制服警官隊によつて設けられた空間地に馳け込んだため、同隊列員である高松警察署勤務松本輝彦巡査が、同被告人を制止してこれを排除しようとしたところ、矢庭に所携の携帯用拡声器を振り廻してこれに反抗し、同巡査および同所で同様警備配置についていた同警察署勤務伊藤豊彰警部補の頭部を右拡声器で殴打し、もつて同巡査等の職務の執行を妨害すると共に、右手掌で自己の頭部を覆つて同被告人の殴打を防いだ同巡査の右拇指に治療約二週間を要する打撲傷を、同警部補に治療約三週間を要する右側頭部打撲傷を負わせたものである。

というのである。

同被告人が右訴因に記載されているように、警察官隊列によつて設けられた空間地に馳けこんだことは前に認定したところであり、更に前掲証人松本輝彦、同広田実、同松田圭右の各供述部分、宮西正人外七名撮影の写真綴(以下本項において、単に「写真綴」と略称する)によると、前記警備配置の東側警察官隊列にいた松本輝彦巡査は、同被告人が右空間地に馳け込み、所携していた拡声器付携帯用マイク(昭和三八年押第一三号の一)で何か叫び出したため、同被告人を警察官の隊列外に出そうとして、同被告人を西側の方へ押し、他の警察官も、二、三人加つて西側警察官隊列中の北側(バスの近く)後列で北西方向を向いていた伊藤豊彰警部補(私服)の後方近辺まで押して行つたことはこれを認めることができる。

しかるに、被告人大林は当公判廷で終始伊藤、松本両警察官に対し暴行を加え、その結果傷害を負わせ公務の執行を妨害したことはないと供述しているところ、前掲証人松本輝彦の供述部分には、「その時私は、被告人大林をその背後から押しており、同被告人と伊藤警部補との間には他の警察官はおらなかつたが、同被告人は、何を思つたのか、持つていた携帯拡声器を振り上げて、前方を向いていた伊藤警部補を後から殴り、更に、こらなぜ押すのかといいながら後へ振り向きながら、右拡声器で私に殴りかかつてきたので、頭を殴られてはいけないと思つて、すぐ右手で頭をおおつたところ、右手拇指のつけ根に拡声器が当つて受傷した」旨の供述記載があり、前掲証人伊藤豊彰の供述部分には、「前記地点で前から押し寄せてきた組合員を押し返すようにしていたところ、いきなり後方から耳の後辺りをガンと殴られ受傷した」旨の供述記載が、そして第一九回および第二五回公判調書中の証人田中浩二の供述部分には、「被告人大林を押し出そうとしていた制服警官の頭に拡声器が当つているのを見た」旨の供述記載が各存し、更に第二〇回公判調書中の証人玉木康允の供述部分および同人作成の右伊藤、松本両名に対する診断書には、それぞれ同人らの殴られたという箇所についての受傷の記載があるのであつて、一応、前記被告人大林に対する公務執行妨害、傷害の公訴事実に副う証拠があるので、これらの各証拠につき検討する。

ところで右松本証人の供述記載には、それ自体について納得し難いものがある。すなわち、先ず右供述記載によれば、被告人大林は、同人に対して何もしていない後向きの伊藤警部補を拡声器で殴つたというのであるが、そのようなことは、普通、余程のことがない限り考えられないことである。成程、同被告人は、受講者に対して呼びかけをしようとしたのを松本巡査に妨げられたことに対し、同巡査に対しては或程度立腹していたことは推察できるけれども、何もしていない右伊藤警部補に対して右の行為に及ぶ程理性を失つていたとは思われず、この点甚だ理解に苦しむものがある。また、松本巡査のとつた防衛行為についてであるが、人は突差に防禦体勢をとつた場合には、一見不自然と思える反射的動作をする場合もあろうが、それにしても、目前にいる警察官が殴られ、更に自分に向つて殴りかかつてきているのを知りながら、これを避けるのに、体を移動して逃れるといつた方法によらず、単に頭を殴られてはいけないと思つて手で頭を覆つたということにも、些か不自然なものを感ぜざるを得ない。

右のように、松本証人の前記供述部分には、納得し難いものがあるのであるが、そればかりでなく、前掲同証人の供述部分および証人伊藤豊彰の供述部分を仔細に検討してみると、その相互間において、或は他の証拠との対比において、次のような矛盾や疑問点が存するのである。

(イ)  右両証人の供述部分によれば、写真綴第四葉の写真は、伊藤警部補が殴られるほぼ直前頃の状況写真であり、同第三葉の写真状況はそれより少し前の段階の状況であることが認められるところ、右第三葉の写真によると、松本巡査は被告人大林の真正面から同被告人を押し、その周囲には三名位の制服警察官がこれに手助けしており、第四葉の写真によると、松本巡査と同被告人とが相対し、同被告人と伊藤警部補とは互に反対方向に向き、且つその間には二名の制服警察官がいて同被告人の行動をその背後から抑制しているのであつて、これらの写真の状況からすると、このほぼ直後頃に、前記松本証人の供述記載のように、松本巡査が被告人大林の背後に廻つて伊藤警部補のすぐ背後まで押して行き、同被告人と伊藤警部補との間で同被告人の行動を抑制していた制服警察官が邪魔をしない状態となつた上、同被告人が伊藤警部補を背後から殴つたという事態が発生したということは、たとえ同被告人らが絶えず動いていたことを考慮しても困難であると推察される。

(ロ)  次に伊藤証人の供述部分によると、伊藤警部補は、「背後から殴られたのでちよつとふらつとして後を振り返つたところ被告人大林の背中が見え、松本巡査が同被告人の腹の附近へ頭がいくように前のめりになつていた」、「松本巡査が殴られたところは見ていない」というのである。若し、それが真実であり、松本証人の、同人も殴られた旨の前記供述記載も真実だとするならば、同被告人は、前記写真第四葉にみられるように、その周囲には他に二、三名の警察官が居て、同被告人の行動を制約していたにも拘らず、極めて敏速のうちに両警察官を殴つたことになるわけであるが、果してそれが可能であつたかどうか疑問とせざるを得ない。

特に被告人大林が人目につきやすい拡声器で伊藤、松本の両警察官を殴つたものとすれば、通常の事態においては、同被告人を警官隊の隊列外に出すことに専念して同被告人の周辺で同被告人を押す等していた数名の警察官に、そのことが分らないはずはないし、又いかに瞬間的な出来事とはいえ、右警察官等は伊藤警部補が殴られた直後において同被告人を制止する行動に出るはずだと思われるが、同被告人の両警察官に対する殴打行為についての目撃証人と目されるものは、伊藤、松本両証人と後記田中証人以外にはなく、右制止行動についてはこれを認めるに足る証拠がないということも、前記疑問を裏付ける資料となろう。

(ハ)  更に、被告人大林を逮捕にかかつた時の状況について、松本証人の供述部分によると、松本巡査は、被告人大林に殴られたので、公務執行妨害に当ると判断し、すぐに「この男を逮捕する」ということを大きい声で言いながら逮捕にかかり、数名の警察官の協力を得て逮捕したが、その際大須賀、高畑の両巡査が逮捕に協力してくれたことははつきり覚えているが、伊藤警部補が逮捕に加わつたかどうかは記憶になく、伊藤警部補に対し、同被告人が殴つたと言つたような記憶はない、というのであるが、この点伊藤証人の供述部分によると、伊藤警部補は背後から殴られたので、ふらつとして振り向くと、被告人大林の背中が見え、同被告人の腹の附近へ頭がいくように前のめりになつていたので、これはいかんと思つて近づき、松本巡査にどうしたんだというと、この男がおれを殴つたということであつたので、私を殴つたのも同被告人だと思い、それでは逮捕しなさいといつて、最初松本巡査と二人で逮捕にかかり、他の警察官も応援に来てくれた、というのであつて、右両供述記載には大きな差異矛盾が見られ、このことは、前述のような疑問と相俟つて、果して被告人大林が両警察官を殴つたために逮捕するようになつたのかどうかについて疑念を抱かせるものがある。

次に、右松本巡査が殴られているのを目撃したという前記証人田中浩二の供述部分について検討するに、その目撃した時の状況について、第一九回公判調書中の供述部分によると、「私のほうも、その間受講生がずつとはいつて来よりますし、受講生の方も見ておりましたんで、たえずそちらを見ておつたんではないんですが、丁度大林さんの方を見たときに制服の警官の頭にスピーカーがあたつておりました。」というのであり、続いて、

問 頭にスピーカーが当つたのはどういう当り方ですか。振り回わしているところへ頭を出して当るとか、たたくというような当り方もあるが。

答 私のほうから見まして痛いなという気はしました。

というのであるが、第二五回公判調書中の供述部分によると、

問 それであなたは、そのスピーカーがあたつた瞬間を見ましたか。

答 見ました。振りおろしているのとあたつたところを見たんです。

(中略)

問 マイクを警察官に対して振りさげるそういう姿勢を見たんですか。

答 はい見ました。

問 その振りさげる動作を見たんですか。

答 おちかけた時ですね、それとあたる時とを見たんです。

(中略)

問 あたつたことをあなたは何で確認したんですか。

答 ものすごい勢でふりおろしました。

問 あたつたことを何で確認したんですかと聞いておるんですよ。

答 肩にスピーカーがくらいついたような格好になりましたんです。肩の方へスピーカーのふちがあたつておるのははつきり見ました。

となつており、スピーカーを振り下げる動作やあたつた個所については、単に表現の相違というよりも、むしろ実質的な相違が見受けられる上、被告人大林が、前記空間地に入つて来た模様についても、第一九回公判調書中の田中証人の供述部分によれば、東側から手に携帯スピーカーをもつた人が、それを左右に振りながら入つて来た。警察官の人垣に入ろうとして肩の高さ位で振りながら入つて来た。警察官が二重三重に人垣を作つていたからその中へ押し入ろうとして、ただ押しただけでは警察の方が大勢いるんでスピーカーを振りながら入つて来た」旨の記載があるのであるが、右第二五回公判調書中の供述部分によると、「被告人大林が入つて来るまでの経過は全然見ていない」とか、主尋問の時には、どのように入つて来たか「動作については証言しておりません」とか答え、弁護人が第一九回公判調書中の右供述記載部分を朗読すると「それは覚えています」と答え、更に問答が続けられた結果、第一九回公判調書中の右証言を撤回しており、また右第二五回公判調書中の供述部分によると、弁護人の前記写真綴第四葉を示されてからの質問に対し、「そういう状況は見ました、殴られてずつとあとの状況である」旨の答をしながら、その後の質問が続けられた後における検察官の右写真を示しての応答を見ると、

問 この四葉はあなたは弁護人の問に対して、これは警察官がマイクで殴られたといいますが、それよりずつとあとのことですというように断言的なことを言いましたが、この点はどうですか、前か後かはつきり覚えているんですか。

答 はつきり覚えてないです。

問 それに第一あなたのところから見える角度じやないですよ。あなたのところからね。

答 そうです。

と変つているといつたように、同証人の供述部分には、目撃していないことを目撃したように供述している点が認められるのであつて、その信用性は極めて乏しいといわざるを得ない。

以上検討したように、被害者或は目撃者各証人の供述部分は、いずれも直ちにこれを信用できないものがあり、これらを以つてしては被告人大林が、本件公務執行妨害、傷害を犯したと認めるにはなお不充分といわなければならない。

なお附言するに、<証拠略>によれば、中西杢一、片山浩、三島中、杉本恒雄ほか二、三の組合員は、八月二二日本件協議会場附近で格別警察官に暴行をしたとは認められないのに、警察官により北側生徒通用門の中に引き込まれた事実を認めることができ、右の事実に前掲各証拠ならびに第一八回および第二五回公判調書中の証人高畑鎮郎の供述部分を総合すると、かえつて前記松本巡査は、当初は被告人大林を外に出そうと、他の警察官の応援を得て伊藤警部補のすぐ近くまで押して行つたが、その気配で伊藤警部補が振り向き、同人もこれに加わり、周囲の状況から同被告人を外部に出せなかつたことから、無理矢理生徒通用門に引き入れようとしたところ、同被告人がこれに抵抗し、門内に入れられた後もなお逃れようと暴れたため手錠をかけるに至つたのではないかと推認される面もないわけではなく、松本、伊藤の両警察官の負傷も或は被告人大林を生徒通用門内に引き入れる過程において生じたものではないかとの疑いもあるが、なおその時の受傷であるとの確信を得るだけの証拠はなく、結局のところ、被告人大林浅吉の公務執行妨害、傷害の訴因については、証明がないことに帰するので、刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡をする。

三、被告人井上進に対する公務執行妨害の公訴事実についての無罪理由

被告人井上進に対する公訴事実は、

同被告人は、前記のように警備配置についていた東側警察官隊列に向つて、多数の組合員と共にスクラムを組んで押し寄せ、同隊列でこれを制止していた高松警察署勤務宮本清巡査の首を右腕で絞め、更にその顎を左手拳で突き上げもつて同巡査の職務の執行を妨害したものである

というのである。

同被告人が、右公訴事実に記載されているように、警備配置についていた東側警察官隊列に向つて、多数の組合員と共に押し寄せ、押し合いを続けているうち、組合員側の最前列となり、右警察官隊列の最前列と対峙するようになつたことは、さきに認定したとおりである。

そして被告人井上は当公判廷で、同被告人が前記の如く組合員側の最前列に出た際、警察官隊列の前列にいた宮本巡査と対峙し接触したが、その際身動きができないほど圧迫を受けたので手を出して警察官を支えたところ、やにわに手を掴まれ逮捕されたが、宮本巡査に暴力を加えその公務の執行を妨害したことはない旨供述しているけれども、前掲証人宮本清の供述部分によると、「宮本巡査は、前記の警備配置についた東側警察官隊列の最前列において、隣同志の警察官の帯革を握つて、東側から押してくる多数の組合員に対処している時、目の前にいた組合員(被告人井上のこと)に、右腕で首を巻きつけられてぐつと力一ぱいの強い力でしめられた上、喉のあたり(顎)を左手拳で突かれたので、公務執行の妨害に当ると考え、暴力を振うんかという趣旨の言葉を発しながら、右手で同被告人の上膊部を払いのけるようにして持ちあげ、左手で同被告人の手首を掴えて逮捕にかかつた」旨の供述記載があり、第二〇回および第二八回公判調書中の証人杉野繁幸、同武内正輝の各供述部分、第一九回および第二六回公判調書中の証人虫本加奈雄の供述部分、第一九回公判調書中の証人中岡正男の供述部分には、それぞれ「宮本巡査が、面前の組合員の腕で首を巻きつけられ、或は首をかかえられているのを目撃した」旨の供述記載が、また第二〇回および第二六回公判調書中の証人松岡末晃の供述部分には、「宮本巡査が相手の手を持ちあげてやられた暴力を振うんかと言つているのを目撃した」旨の供述記載があり、被告人井上に対する右の公訴事実に副う証拠があるのでこれを仔細に検討することとする。

(イ)  先ず、証人宮本清の供述部分を検討すると次のような疑問点がある。すなわち、第二八回公判調書中の同証人供述部分によれば、前掲真井俊美外六名撮影の写真綴(以下本項においては単に「写真綴」と略称する)第八葉における同巡査と被告人井上との状況が、丁度、同巡査が、首に巻きつけられた同被告人の手を払いのけにかかつた瞬間の状況であるというのであり、そうであるなら、被告人井上の右手は、未だ同巡査の首に巻きついていなければならない筈である。しかるに、右写真における同被告人の手は宮本巡査の首にかかつていないことは明らかであり、この点について同証人自身、

問 離しにかかつた時なら、あなたの首にまだ手がかかつてますね。

答 ……………

問 相手の右手があなたの首のどこに写つているか説明できますか。

答 わかりませんな。

と説明し得ないのである。また宮本巡査の左後方に、肩のくつつく程度に接着して警備配置についていたという証人杉野繁幸の第二八回公判調書中の供述部分によると、

問 それで宮本巡査と一緒にその組合員を引き抜いたということになるわけですね。

答 そうです。

問 さつき尾山弁護人のほうからきいたんですがまきついている状況から引き抜きに移る状況は、関係はあなたが宮本さんの左のわき下から腕を入れて組合員の右手の上膊部をつかんだとこういうことですか。

答 そうです。

問 つかんで引き抜いたということですか。

答 そうです。

問 そうすると組合員の、組合員が宮本さんの首にまいておつた手は、そのためにはずれたわけですか。

答 ……………

(中略)

問 そうすると、あなたから見れば、そのために組合員の右手は宮本の首からとれたとこういうことになるわけですね。

答 …………そうです。私がひつぱつたためにのいたのか、後へまわりこんだものがのけたのか、その辺ははつきりせんですけど。

(中略)

問 組合員を逮捕することを決意したのは、あなたですか宮本巡査ですか。

答 ……………

問 宮本巡査が逮捕するというような意思をあなたに見せたので加勢したわけなんですか、あなたが逮捕してやろうというふうに判断して逮捕して逮捕にかかつたわけなんですか。

答 宮本巡査が逮捕をしようとしたのでわたしが協力したように思います。

問 宮本巡査が逮捕しようとしておるということをあなたはなんで知つたんですか。

答 やつたなという言葉を出して、それで相当前で動き出したので、そう思いました。

問 動き出したといいますが、どういうふうに具体的に宮本巡査の手なら手が、どういうふうに動き出したんですか。

答 手じやなくて体で感じました。

との記載があり、これら杉野証人の供述記載からしても、宮本巡査が同被告人の手を払いのけるようにして持ちあげるような行動をとつた旨の証人宮本の前記供述記載は、信用し難いものがあり、従つてまた被告人井上に首を巻きつけられた旨の供述記載にも疑問を抱かざるを得ない。

(ロ)  右検討したところに照らし、さらに松岡巡査が相手方の手を持ち上げている宮本巡査の姿を見たという時点における松岡巡査と宮本巡査の位置、距離関係等についての証人松岡末晃の供述部分の矛盾等に鑑み、証人松岡末晃の前記宮本巡査が相手の手を持ち上げてやられた暴力を振うのかと言つているのを目撃した旨の供述記載もたやすく信用することはできない。

(ハ)  次に、第二〇回、第二八回公判調書中の証人杉野繁幸の供述部分によると、杉野巡査部長は、宮本巡査が首をしめられていることを同巡査の「やつたな」という声で気がついて被告人井上の逮捕に協力した旨供述しているのでこの点につき検討するに、同証人は当初は宮本巡査が被告人井上に首を締められているのを見たと供述しているが、のちには被告人井上の手が宮本巡査の首に巻きついていたが、締め上げていたかどうかは分らなかつた旨供述を変えており、しかも右目撃したという時点の前後における同証人と宮本巡査の位置関係などからして、同証人の目撃状況、被告人井上の逮捕に協力した状況の供述には、些か不自然な点もあり、さらに首をしめつけていたという被告人井上の手について、第二〇回公判調書中の供述部分においては、

問 宮本巡査がどういうことをされたのですか。具体的に見たところをお述べ願いたいんですが。

答 左手で首をしめられるのを見ました。

問 左手というのは、首をしめた人の左手という意味ですか。

答 そうです。

と、はつきり左手と供述しているにもかかわらず、第二八回公判調書中の供述部分では、右手と訂正供述をしており、また写真綴第八葉についての供述についても、第二〇回の公判調書中の供述部分では、

問 この写真は、さきほど証言した宮本巡査が暴行を受けたというような証言と関連がありますか。

答 あります、これです。

問 このときの状況について、あなたが証言したわけですか。

答 そうです。

との供述記載がなされているのに、第二八回公判調書中の供述部分においては、

問 この状況はどういう状況かわかりますか。

答 私の目撃したときの前か後かわかりませんけど、とにかく、その近くの状態じやないかと思います。

と変つておることから、被告人井上が宮本巡査の首を締めていたのを見たという証人杉野の供述部分はたやすく措信し難い。

(ニ)  次に前掲証人武内正輝の供述部分についてであるが、それによれば、同証人は、その目撃当時、同人の周囲も非常に混乱状態にあつたため、目撃した状況もほんの瞬間的に見た程度のものであり、かつその目撃した状況は、写真綴第八葉に写されている状況であつて、右の写真のように宮本巡査は被告人井上に手で首を巻かれて組合員側の方に引き込まれようとしていたというが、右の写真はそのような写真でないことは前記の通りであるから、宮本巡査が組合員の腕で首をかかえられていたのをみた旨の証人武内の前記供述記載も信用性が薄いというほかはない。

(ホ)  次に、証人虫本加奈雄についてその供述記載を仔細に検討すると、例えば同証人は宮本巡査と被告人井上がとつくみ合いになつていたと述べているが、右は他の証人の供述と対比してやや誇張して述べているのではないかと思われる点や、同証人は第一九回公判期日では警察官二、三名が宮本巡査の応援にかけつけ両者を引き離したと述べているのに反し、第二六回公判期日では、警察官二、三名が応援にかけよつたが、そのあとは見ていないと、重要な事項についても矛盾した供述をしている点などが散見され、同証人の供述には瞹昧さが存するばかりでなく、被告人井上と宮本巡査との接触状態の目撃も、結局のところ、武内証人の場合と同様瞬間的に目撃したに過ぎないことが窺われるのであつて、その目撃状況の正確性については多分に疑念を抱かざるを得ない。

(ヘ)  次に証人中岡正男の供述部分を検討するに、それによれば、同警察官は私服隊員として組合員と対峙した制服警察官隊列より後方(第一九回公判調書中の同証人供述記載では、同警察官と宮本巡査との距離は五、六米、第二六回公判調書中の供述記載では三、四米)の空間地において警備に従事していたというのであり、他面宮本巡査が暴行を受けたと称する時点の宮本の後方には二、三列の制服警察官がいたというのである(なおこの点につき、被告人井上の当公判廷における供述およびその写真の状況より、同被告人が隊列に引き込まれようとしている状況を撮影したと認められる写真綴第九葉の写真参照)が、そうだとすれば身長五尺二寸五分(宮本証人の第二六回公判調書中の供述記載)で警察官としてはあまり背丈は高くない宮本巡査の首の附近の有様を、右中岡のいた地点から見分することは、はなはだ困難と考えられること、また同警察官が目撃した状況が第一九回公判調書中の供述部分では、「被告人井上は首をかかえて前わきに引きずるようにしておつた」というのであるが、第二六回公判調書中の供述部分では、「手に首をかけている状態で巻いている状態ではなかつた」旨の供述記載になつていること、更に第一九回公判調書中の同証人供述記載によれば、被告人井上の暴行および二、三人の制服警察官が宮本巡査に加勢しているのをみて、すぐに傍へ走つて行つたというのであるが、この点に関しての右第二六回公判調書中の供述記載によれば、「私が傍に行つた時分には附近にいた制服警察官が二、三人で同被告人を中へ既に引張り込もうとしておつた」との記載から「警察官隊列の前列から最後列の所まで引張り込んでおつた」の記載に、さらに「最後列を離れた直後位」と変り、しかもその写されている状況および被告人井上の当公判廷における供述によつて、同被告人が既に警察官隊列の後に引き出された後の状況写真と認められる三好正美撮影の写真一枚(昭和三八年押第一三号の四)中には、未だ同警察官はその場にいないと思われること等これらの諸点を考えると、同警察官が被告人井上の暴行を目撃した旨の前記供述記載には多大の疑問を禁じ得ない。

以上のように、これら証人の各供述部分には、各証人の供述記載自体或は他の証拠に対比して全面的には措信し難いものがある。尤も前掲の各証拠を総合すると前記認定の如く被告人井上が多数の組合員と共に東側警察官隊列に向つて押し寄せ、激しい押し合いを続けるうち、組合側最前列となり、警察官側の最前列にいた宮本巡査とかなり激しく接触したこと、その際同巡査が暴力を振うんかと云う趣旨の言葉を発し、他の数名の警察官と共に同被告人を逮捕したことは認められるが、右各証拠に第三五回公判調書中の証人谷整二同広内義人の各供述部分をあわせ考えると、右の接触については被告人井上がうしろにいる組合員等に押された結果、背の高い同被告人が比較的背の低い宮本巡査に覆いかぶさるように接触し、且つその接触が激しかつたことから、宮本巡査や他の警察官があたかも同被告人が宮本巡査に暴力を振つているように思つたのではないかということも推測され得ることである。また多数の目撃証人の供述する如く被告人井上が真実宮本巡査の首を締めていたのであれば、各証人共単に被告人井上の右腕が宮本巡査の首にかかつているのを瞬間的に目撃したとか、首に右腕をかけて引き寄せるようにしていたのを見たというだけでなく、その点につきその直前直後の状況をも合わせもう少し具体的且つ詳細な供述がなされてよいはずであるのにそれがなされていない。これらの点から同被告人が宮本巡査に暴行を加えていたという前記公訴事実に副う各供述記載は直ちに信用することができず、これらの証拠をもつてしても必ずしも被告人井上に対する公訴事実についての確信を得ることができず、他にこれを認めるに足る証拠はない。よつて被告人井上進に対する公務執行妨害の公訴事実については、犯罪の証明がないものとして刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡をする。

四、被告人八木史郎に対する公務執行妨害、傷害の公訴事実についての無罪理由

被告人八木史郎に対する公訴事実は、

同被告人は、前記のように警備配置についていた東側警察官隊列に向つて多数の組合員と共にスクラムを組んで押し寄せ、同隊列でこれを制止していた丸亀警察署勤務安藤康吉巡査の左足、同警察署勤務大矢根悦史巡査の右大腿部をそれぞれ足蹴りにし、もつて同巡査等の職務の執行を妨害すると共に右安藤巡査に対し治療約三週間を要する左膝蓋部打撲傷を負わせたものである。

というのである。

同被告人が、右公訴事実に記載されているように、その警備配置についていた東側警察官隊列に向つて多数の組合員と共に押し寄せ、押し合いを続けているうち、組合側の最前列となり、右警察官隊列の最前列と対峙するようになつたことは、さきに認定したように明らかである。

そして、第一四回および第二七回公判調書中の証人安藤康吉の供述部分には、「自分の面前にいた組合員に左足の膝蓋骨の上一〇センチ位の所を足蹴りされた」旨の供述記載があり、第一四回および第二九回公判調書中の証人大矢根悦史の供述部分には、「私は、私の左側にいた安藤巡査が蹴られたのを見たので、その蹴つた足を捕まえにいつた時、自分も右足の大腿部のズボンのポケツトの上、(もものつけ根よりやや下の部分)を一回蹴られたので、その男を捕えて真木巡査に渡した」旨の供述記載が、また第一九回および第二九回公判調書中の証人真木弥栄の供述部分には、「大矢根巡査が、相手の足を持つていた時相手の足で同巡査の大腿部を蹴られるのを目撃したが、大矢根巡査がその男を私の方へ引張つてきたので、私はその組合員を北側生徒通用門の中まで連れて行つた。その人の氏名はのちに八木史郎ということを知つた。」旨の供述記載があり、更に第二〇回公判調書中の証人玉木康允の供述部分および同人作成の安藤についての診断書には、「加療二一日を要する左膝蓋部打撲傷」との記載がなされてあるのであつて、これら被告人八木に対する公訴事実に副う証拠がある。しかし、被告人八木は、当公判廷において、「前記のように東側の組合員の後尾から順次前面に進んで組合員の最前列に出た時に、警官の隊列からこいつじや、こいつじやという声が聞え二、三人の警官がスクラムを組んでいた右隣の山崎の手を引張り捕えに来た。そこで私はスクラムの腕をちぢめたり、山崎のバンドに手をかけたりして引き戻そうとしていた時、後にいた組合員の福島が、私と山崎の間に割つて入つたので、山崎と離れてしまつた。すると今度は、私が右手を掴まれて引張られた。私は、山崎も引張り込まれたと思い、同人が何もしなかつたという証人になつてやる積りであつたので、何ら抵抗しないでそのまま警察官の隊列に入つて行つたところ、すぐに一人の警察官に背後から腹のところを持たれ、相手の頭を背中につけられた状態で、北側生徒通用門の中へつれられて行つた。従つて私は勿論蹴らないし、山崎が蹴つたのも見ていない。」旨の供述をなし、第三六回公判調書中の証人山崎芳秀および福島弘明の各供述部分には、右被告人八木の供述に符合する供述記載が存するのである。そこで前掲各証人の供述部分について詳細に検討してみると、次のような疑問に逢着せざるを得ない。

先ず安藤および大矢根の両警察官は、果して組合員によつて蹴られたのかどうかについて考察するに、

(イ)  安藤証人の第一四回公判調書中の供述部分によれば、同人が蹴られたという時の状況は、「相手は両手で私の肩を突くような格好をして足で蹴つた」というのであり、第二七回公判調書中の供述部分によれば、「相手はうつむき加減の背中を丸くしたような状態で私の両肩に両手をかけて蹴つた」というのであるが、右安藤巡査の蹴られるのを目撃したという大矢根証人の第二九回公判調書中の供述部分によると、右暴行の時点においては暴行を加えた組合員はスクラムを組んでいたというのであつて、両者に差異のあること、

(ロ)  大矢根証人は、同人が蹴られた時の状況について、第一四回公判調書中の供述部分によると、「安藤巡査の蹴られたのを見て逮捕しようと思い、蹴つた足を捕えにいつたところ、その足でズボンのポケツトの上あたりを蹴られた。きつく蹴られたのは一回だけで、あとは二、三回足をばたばたさせていたように思うがそれは蹴つたのと感じが違う」というのであり、第二九回公判調書中の供述部分によると、「その足を追つて掴みにいつたところ、つかむ前に大腿部のポケツトの所(股のつけ根よりやや下の方)を一回蹴られた。その蹴つた足をつかまえてこいつが蹴つたと云つて引張つた時に、反対の足でばたばたさせていたが、それは蹴るのとは全然感じが違う」というのであるが、右大矢根巡査の蹴られるのを目撃したという真木証人の前掲供述部分によれば、「大矢根巡査のこいつがやつたんじやという声がしたのでそちらをみると、大矢根巡査は組合員の片足を掴まえており、その組合員が掴えられていない足で大矢根巡査の胴から下(上腿部)を二回位蹴つているのを見た」というのであつて、両者間に差異のあること、また、両証人とも、大矢根巡査が蹴られた時の同巡査の姿勢を示しており、それによると、大矢根巡査は中腰になつて腰をかなりうしろに引き両手を前下方に差し出していた時に蹴られたことになるわけであるが、果してそのような姿勢の時に、股のつけ根に近いポケツトの上附近を蹴り得るものかどうか疑問があること、

右の如く、安藤、大矢根両警察官の被害を受けた時の状況については、被害者、目撃者にそれぞれかなり重要な点につき相違が見受られる上、安藤証人の第二七回公判調書中の供述部分によると、安藤巡査の右横に尾上巡査がおり、右安藤と尾上の中間位の後方に大矢根巡査がいたというのであるが(この位置関係については第一四回第二九回公判調書中の証人大矢根、第一九回第二七回公判調書中の同尾上の各供述部分によつても否定し得ない)、右の尾上証人の供述部分によれば、同人は、安藤巡査が蹴られたこと若しくは蹴られた後の同巡査の行為(安藤巡査が蹴られてすぐに相手の腕を掴まえたのか、或は蹴られてすぐしやがんだのかは後にみるように証人間にくい違いがあるが、いずれにしても)に気がついた様子が窺えないこと、およびこれら各証人の供述部分によると、組合員らはスクラムを組んだり離したり(或は組合員、警察官隊の力関係から離されたり)しながら前後左右にかなり激しい動きを見せており双方とも相当混乱していた様子が窺われるのであつて、その間組合員がスクラムを組んでいることから反身になつたり、一方の手がスクラムから外れたりする際に足が宙に浮き、前にいる警察官に足がぶつつかることも充分考えられること等あわせ考えると、当該組合員が、安藤大矢根の両警察官を暴行の意思をもつて蹴つたと断定するには、なお躊躇を感ずるものがある。

次に、安藤、大矢根の両警察官を蹴つたという組合員を逮捕した時の状況について、証人安藤につき第一四回と第二七回、同大矢根につき第一四回と第二九回、証人尾上につき第一九回と第二七回、同真木につき第一九回と第二九回の各公判調書中の各供述部分につき検討すると、その要旨とするところは次のとおりである。すなわち安藤証人は、「私は私を蹴つた組合員が自分の前にいるので、これが蹴つたがと言つてその人の手をぐつと握り、隣の大矢根巡査に云つたらおい検挙じやと言つて逮捕してくれた。」というのであり、大矢根証人によれば、「私のすぐ左側の警察官が痛いといつてすねのあたりを抱え込むようにして下にしやがみ込んだのが見え、蹴つた足が出ているのを見たので、その足を目当につかまえにいき、その際自分も蹴られたが、足をつかまえて引張つた時他の警察官も応援してくれて逮捕した」というのであり、尾上証人によれば、「大矢根巡査がデモ隊の正面にいた年令二四、五才位の男の足か手を引つぱつて、こいつじやこいつじや検挙じやと言つていた。砂ぼこりが飛んできていたので、まばたきした瞬間には足を引つぱつておつたのがすぐ手を握るような状況だつた。そこで私は大矢根巡査に加勢してその組合員を引張り隊列の中に引入れて他の組合員に対した。」というのであり、真木証人によれば、「大矢根巡査が相手の足を持つたまま私の方へ引張つてきたので、私は相手の背後へ廻つて胴のあたりを持ち北側生徒通用門の中へ入つた。」というのであつて、右各供述記載を検討すると、

(イ)  大矢根証人は、安藤巡査は蹴られてすぐにしやがんだのでその足をつかまえにいつたように供述しているが、安藤証人によれば、同巡査は、蹴られたのですぐに相手の手首を両手で握つている時に大矢根巡査が逮捕に加わつたと供述していること、

(ロ)  大矢根、真木両証人は、大矢根巡査は終始相手の足を引張つて警察官隊列の中に引き入れたように供述しているが、尾上証人によれば、大矢根巡査は相手の手も引張つて逮捕にかかつたように供述していること

といつた相違点が見られる上、前述したような安藤、大矢根、尾上各警察官の位置関係や、当時の混乱した状況等からみると、大矢根巡査が蹴つた者を逮捕するのにその足をつかまえにいくことは、たとえ突差の出来事としても不自然であること、および前述した大矢根巡査が大腿部を蹴られたことについての疑問点等をかれこれあわせ考えると、大矢根巡査が相手の足をつかまえにいつたことについては疑問を抱かざるを得ない。

更に、大矢根、真木両証人は、蹴つたという組合員を警察官隊列に引き入れる時、その組合員がスクラムを組んでいたと供述しているが、それがどうなつたかについて、大矢根証人の第二九回公判調書中の供述部分によれば、

問 であなたが一メートル位斜めに、西南の方へ引張つたときにはそれらのスクラム組んだ人も一緒に来たわけですか

答 ええちよつとこつちへ、わたしの方へちよつと来たと思いますけど、なんか綱引きのようなかつこうになつたんです。こつちが足つかまえて向こうが腕組んで引張つたら向こうがついて来るようになつたと思います。

問 それからどうしましたか、もつてない足をばたばたさして後は

答 それから後は私の近くでおりました真木巡査にその逮捕者を渡して……………。

問 どういうふうに渡しましたか。

答 どういうふうにといいますと………。

問 その時組合員がスクラム組んだ人はどうなつたんですか。

答 その時、どうなつたかね、ちよつとわからないんですけど、なんか足を引張つたらね、その時の感じで軽くね、軽くいうとすうとこつちへ来たような感じがするんですがね。

問 それはスクラムを組みながらですか。

答 ええ。

問 そうすると加害者一人だけでなくてほかの組合員も一緒にすうつとあんたの方へ来たんですか。

答 すうつと来たように感じがしたんです。

問 でその加害者を真木さんに渡したというのは、どういうふうにして渡したんですか。

答 私が足をつかまえましたらね、なんかそのつかまえた者の両側から警察官が来てなんか抱えるようにして後方に送つたと思いますけどね。

問 だつて加害者の左右にはスクラム組んでるほかの組合員もいるわけでしよう。

答 ええ

問 そういう人はどうなつたんですか。

答 その点が、私自身にも………。当時から私どうしてすうつと抜けてこつちへ来たんかなというふうに思つてたんですけどね、未だにちよつとわかりません。

というのであり、真木証人の第二九回公判調書中の供述部分によると、

問 スクラムを組んでたのに、簡単に八木さんが出られるんですかね。

答 それは警察官につかまつたら、これはもう駄目だと言つて離したかもわかりませず、それについては私は何故離れたかについてはわかりません。

とか、或は

問 それであなたは大矢根さんを助けようと思つてその加害者の後に廻つたわけですね。

答 はい。

問 簡単にそういうこと、できたんですか。

答 別に抵抗を受けませんでした。

問 その時組合のスクラムはどうなつておりましたか。

答 見ていません。

というのであつて、むしろ右両供述記載には、被告人八木の逮捕状況についての同被告人の供述を裏付ける一面のあることを否定できないのである。

なお、安藤証人は、同人を蹴つた組合員と被告人八木との同一性について、「高校の二階で確認した」(第一四回公判調書中の供述部分)、「あんた(被告人八木のこと)の人相は焼きつくように覚えている」(第二七回公判調書中の供述部分)旨述べているが、反面、隊列中で同人の面前に同被告人が現われた時について、「八木さんも、くるくる人がまわるようにまわつて私の前に現われました。最初からではないんです。」とか、同被告人が現われて蹴るまでの間は「短い間」ないし、現われた直後であることを肯定し、また「それは目の前におつても感づかんですよ、あんた方どうか知りませんが群衆じや、駅前におる人と一緒で、あ、この人ということは感づかんですよ、肩に手をかけてくるからこれ何をするかというんで」とか、「あんたが肩に手をかけてな寄つてくるからわしもその時には他意はないんじや、そんな考はないんじや、こちらも下を見とつた、そしたら足で蹴つてきてスコツという感じじや」、蹴られてからは「わしはもう足が痛くてな、逮捕どろじやないんじや、自分の力でなんとかその場からのがれなくちやいかん」と述べているのであつて(第二七回公判調書中の供述部分)、これらの供述記載に照らすと、同警察官を蹴つた組合員と被告人八木が同一人である旨の前記供述記載は、にわかに措信できないものがある。

以上検討したように、これら各証人の供述部分には、安藤、大矢根両警察官が、前掲各供述部分に記載されている時期において、組合員から故意に蹴られたこと、およびその蹴つた人間を逮捕したのかどうかについては多分に疑念があり、更に第六の二(被告人大林の公務執行妨害、傷害の無罪理由)に叙述したように、当日は、被告人ら以外にも、格別警察官に暴行をしたとは認め難い組合員も数名北側生徒通用門の中に引き込まれていることをもあわせ考えると、前掲被告人八木および証人山崎、同福島の各供述記載をいちがいに排斥し難く、結局被告人八木に対する公務執行妨害、傷害の公訴事実を証明するに足る充分な証拠がないので刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡をする。

以上によつて主文のとおり判決する。

(裁判官 戸田勝 岡崎永年 出嵜正清)

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